竹内まりやさんの『幸せのものさし』という歌を、改めて聴いた…
2008年に発表された曲だから、今から18年前になる。
聴きながら、不思議な気持ちになった。
「ああ、これって、私が最近ずっと考えていることじゃないか」と。
幸せって何だろう…?
どこまで行けば、人は「私は幸せだ」と思えるんだろう…?
そんなことを考えながら聴いていたら、この歌は単なる応援歌ではなく、ひとつの「幸福論」のようにも思えてきた…
私たちは、ずっと頑張ることを教えられてきた。
私たちが生きてきた社会は、どちらかというとピラミッド型だったと思う。
上へ行くこと。
人よりできるようになること。
もっと稼ぐこと。
もっと持つこと。
もっと認められること。
子どもの頃から、「頑張ることはいいことだ」と教えられてきた。
もちろん、頑張ること自体が悪いわけじゃない。
努力したから見える景色もあるし、努力したから手に入るものもある。
ただ、問題は、
いつの間にか「頑張り続けなければ幸せになれない」と思ってしまうことなのかもしれない。
もっと頑張れば。
もっと成長すれば。
もっとお金があれば。
もっと素敵な人と出会えたら。
もっと理想の自分になれたら…
その先に、まだ手にしたことのない「本当の幸せ」があるような気がしてしまう。
でも、その「もっと」の先には、また次の「もっと」が待っている…
これでは、いつまで経ってもゴールに辿り着けない。
自分で選んだ人生でも、迷うことはある
私は、一人でいることが結構好きだ。
自由だし、楽だし、自分のペースで生きられる。
だけど不思議なもので、自由には、ときどき孤独もついてくる。
これは実際に一人でいる時間が増えて、私自身が感じたことでもある。
自由を選んだからといって、毎日100%幸せなわけではない。
誰かと生きる人生には、誰かと生きる悩みがある。
一人で生きる人生には、一人で生きる悩みがある。
仕事を選んでも悩む。
家庭を選んでも悩む。
自由を選んでも悩む。
安定を選んでも悩む。
もしかすると人生には、
「悩みのない正解」なんて、そもそも存在しないのかもしれない。
だったら大切なのは、
「どの人生なら正しいか」ではなく、
「私は何を大切にして生きたいのか」
なんじゃないだろうか。
隣の庭がきれいに見えたなら
人の人生って、よく見える。
幸せそうな夫婦。
素敵な家。
楽しそうな旅行。
仕事で成功している人。
お金に余裕がありそうな人。
SNSを開けば、今は世界中の「うまくいっている瞬間」が次々と流れてくる。
だから、自分にはないものが本当によく見える。
「あの人はいいな」
「私にはないな」
「もっとこうだったらな」
そう思ってしまうのは、人間だから仕方がないのだと思う。
でも、人の庭を眺め続けても、自分の庭には何も増えない。
だったら、
自分の庭に花を植えればいい。
私はこの考え方が、とても好きだ。
羨ましいと思った自分を責める必要はない。
むしろ、それは自分が何を望んでいるのかを教えてくれているのかもしれない。
人の庭を見て、
「私にはない」
で終わらせるのではなく、
「じゃあ、私は自分の庭に何を植えよう?」
と、自分に戻ってくる。
そこからまた、自分の人生をつくっていけばいい。
幸せは、意外と足元に落ちている…
そして最近、私はますます思う。
幸せって、すごく大きな出来事じゃないのかもしれない。
朝、目が覚めたこと。
温かいご飯を食べられること。
好きな飲み物を飲むこと。
犬と散歩すること。
猫がそばにいること。
風が気持ちいいこと。
きれいな空を見ること。
誰かと笑うこと。
何でもない一日を、無事に終えられること。
そんなものは、あまりにも普通すぎて、私たちは簡単に見落としてしまう。
でも本当は、人生の大部分って、そういう「何でもないもの」でできている。
大きな幸せを探して遠くばかり見ていると、
足元に咲いている小さな花を踏みながら歩いてしまうことがある。
幸せがないんじゃない。
幸せとして認識していないだけなのかもしれない。
「ある」を見るということ
最近の自己啓発でも、
「ないものではなく、あるものを見る」
という話をよく耳にする。
でも、それは決して、
「もっと望んではいけない」
という意味ではないと思う。
欲しいものがあっていい。
夢があっていい。
もっと豊かになりたいと思っていい。
新しい花を、自分の庭に植えていけばいい。
ただ、
「それが手に入るまで私は幸せではない」
としなくてもいい。
ここが、とても大切なんじゃないかと思う。
今の幸せを感じながら、未来を望む。
今あるものに感謝しながら、新しいものを求める…
この二つは、矛盾しない。
むしろ今ある幸せを感じられる人だからこそ、未来に何かを手にしたときも、それを幸せとして受け取れるのかもしれない。
【幸せのものさしを、自分の手に戻す】
世間には、たくさんのものさしがある。
年収。
肩書き。
学歴。
結婚。
家。
車。
容姿。
フォロワー数。
社会的な成功。
もちろん、それらを大切にする人生もいい。
でも、それがそのまま「私の幸せ」とは限らない。
誰かにとって100点の人生が、私にとって100点とは限らないからだ。
だから最後は、自分で決めるしかない。
私は何を大切にしたいのか。
何を持ちたいのか。
何を手放してもいいのか。
どんな一日なら、眠る前に「今日も悪くなかったな」と思えるのか…
その答えは、誰かが決めてくれるものではない。
18年前に生まれた『幸せのものさし』という歌を聴いて、
私は改めて思った。
幸せになるために、何かを探し続ける人生もある。
でも、
すでに自分の人生にある幸せに気づきながら生きる人生もある。
人の庭が青く見える日もある。
自分の庭が寂しく見える日もある。
そんな日は、また一輪、自分の好きな花を植えればいい。
そして時々、立ち止まって振り返る。
すると案外、
「私、もうこんなにたくさん持っていたんだ」
と気づくのかもしれない…



はじめまして 登録ありがとうございます。
幸せって本当に身近にあるんですが、それをなかなか感じられない物です。
でも毎日の平穏な日常が崩れた時に初めて実感するんですよね
私もそれを実感した一人です。
今あるものに感謝し、幸せをかみしめて毎日を生きています。
ほら幸せの青い鳥はすぐそこにいますよ
こんな素敵な記事を見つけて幸せです。
これからも宜しくお願いします。
ちょっと何かを変えてみたことも、
大きな目標に向けて頑張ったことも、
当たり前に感じてきたことも、
全部、自分の幸せに繋がってることに感謝ですね🙂↕️
文句と要求ばかり抱えてないか、考えさせられました💦