『三百六十五歩のマーチ』から学ぶ、人生の歩き方
58年前の歌が教えてくれた、幸せと人生の本質
なぜかたまに頭の中に
『三百六十五歩のマーチ』が流れてくる〜♪
別に最近聴いているわけでもない。
意識して思い出そうとしているわけでもない。
なのに、ふとした瞬間に、
「幸せは歩いてこない。だから歩いてゆくんだね」
というあの歌が、頭の中で流れ始める。
そして、そのたびに私は思う。
『これ、本当に人生の本質そのものだよなあ…』
昔から知っている歌なのに、
大人になって、いろいろ経験してから聴くと、
まったく違う歌に聞こえる。
ただ元気よく歩こうという歌ではない。
人生そのものを、
ものすごく簡単な言葉で歌っているように思える。
幸せは、向こうから歩いてこない
まず、この最初の言葉。
幸せは歩いてこない。
だから自分から歩いていく。
これだけ聞くと、
「幸せをつかむために努力しましょう」
という意味にも聞こえるかもしれない。
でも私は、少し違うように感じている。
幸せって、
誰かが運んできてくれるものでもなければ、
外側から与えられるものでもないんじゃないか。
誰かが私を幸せにしてくれる。
素敵な人と出会えたら。
もっとお金があったら。
仕事が成功したら。
夢が叶ったら。
欲しかったものを手に入れたら。
いつか環境が整ったら。
そうやって、
「幸せがやってくるのを待つ」
ことって、意外と多い。
でも、待っていても仕方がない。
結局、幸せって自分自身で気づくものなんだと思う。
自分自身が、
「ああ、今って幸せなんだな」
と思えること。
もしかすると幸せは、
遠くまで歩いてやっと手に入れるものですらなくて、
歩いていく途中で気づいていくものなのかもしれない…
本当はずっとそこにあったのに、
自分が気づいていなかっただけ。
そういう幸せって、
人生にはたくさんあると思う。
三歩進んで、二歩下がる
そして、この歌といえば、
三歩進んで二歩下がる。
本当に人生って、これだと思う。
ずっと順調にはいかない。
やっと前に進んだと思ったら、
また何かが起こる。
うまくいき始めたと思ったら、
突然うまくいかなくなる。
立ち直ったと思ったら、
また落ち込む。
「やっとここまで来たのに」
と思うようなことも起きる。
人生って、そんなことの繰り返しだ。
でも、
三歩進んで二歩下がっても、
一歩は進んでいる…
しかも私は最近、
戻ったように見えるその二歩すら、
後になったら必要だったと分かることがあると思っている。
あれがあったから。
あの失敗があったから。
あの人と出会ったから。
あの人と別れたから。
あそこで止まったから。
あの道を諦めたから。
だから今ここにいる。
人生の途中では、
「なんでこんなことが起きたんだろう」
と思っていたことが、
何年か経ってから突然つながることがある。
歩いてきた足跡に、花が咲く
『三百六十五歩のマーチ』には、
歩いてきた足跡にきれいな花が咲く、という表現がある。
私はこれを読むと、
人生の伏線回収みたいだな
と思う。
歩いている最中には分からない。
今起きていることに、
どんな意味があるのかなんて分からない。
ただ辛いだけの日もある。
失敗したと思うこともある。
遠回りだったと思うこともある。
できれば消してしまいたい過去だってある。
でも人生をもう少し先まで歩いてから振り返ると、
「ああ、あれがここにつながっていたのか」
と分かる瞬間がある。
出来事そのものは変わらない。
でも、
出来事の意味は変わる。
「あれさえなければ」
と思っていた過去が、
「あれがあったから」
に変わる。
その瞬間、
昔つけた足跡に、
後から花が咲く。
私はそんなふうに感じる。
幸せは隣にあるのに、気づけない日もある
この歌は、
人生をきれいごとだけで描いていないところも好きだ。
幸せがすぐ隣にあっても、
分からない日がある。
ほんの一歩違いで、
何かを逃してしまう日もある。
そりゃ、あるよね。
毎回正しい選択なんてできない。
すべてのチャンスに気づけるわけでもない。
毎日幸せを感じられるわけでもない。
それでも、
歩みそのものをやめる必要はない。
今日見えなかったものが、
明日は見えるかもしれない。
今日通り過ぎたものの意味に、
10年後気づくかもしれない。
人生って、
そのとき全部分からなくてもいいんだと思う。
明日は、こちらの都合に関係なくやってくる
晴れの日もある。
雨の日もある。
何もしたくない日もある。
「もう嫌だな」と思う日もある。
それでも明日は来る。
新しい一日は、
こちらの都合なんてお構いなしにやってくる。
だから結局、
またその日を生きるしかない。
だけどそれって、
そんなに悪いことでもない。
だって毎日、
また一歩目から始められる
ということでもあるから…
ものすごい一歩じゃなくていい。
人生を変える一歩じゃなくてもいい。
今日の一歩。
それだけでいい。
「休まず歩け」は、休むなという意味ではない
ただ今の私は、
「休まないで歩け」
という言葉を、
「何があっても休むな」
とは受け取っていない。
疲れたら休めばいい。
動けない日があっていい。
座り込んでしまうこともある。
何もしない日だって、
人生には必要だと思う。
大切なのは、
休まないことではなく、自分の人生を諦めないこと。
休んだって、
また歩けばいい。
今日は歩けなかった。
じゃあ明日一歩。
それくらいでいい。
そして、この歌は58年前の歌だった
改めて調べてみると、
『三百六十五歩のマーチ』が発売されたのは1968年。
今から58年前。
日本は高度経済成長の真っただ中だった。
経済がどんどん成長して、
テレビや家電が家庭に広がり、
「もっと豊かに」
「もっと便利に」
「もっと上へ」
社会全体がものすごい勢いで前へ進んでいた時代。
今以上に、
会社、
肩書き、
年齢、
上下関係、
「こう生きるのが普通」
という社会の型も強かった時代だったと思う。
一方では学生運動や大学紛争も起き、
これまでの社会の価値観に疑問を持つ人たちもいた。
そんな時代に、
幸せは向こうからやってこない。
人生は三歩進んで二歩下がる。
それでも一歩ずつ歩こう。
そんな歌が、
たくさんの人に歌われていた。
それを知ったとき、
なんだか私は、
すごく不思議な気持ちになった。
人生を心豊かに生きる本質は、昔から変わっていないのかもしれない
今は、
自分らしく生きようとか、
外側ではなく自分の内側を見ようとか、
幸せは自分の中にあるとか、
いろいろな場所で語られている。
スピリチュアルでも、
心理学でも、
自己啓発でも、
言葉を変えながら、
たくさん語られている。
最近は特に、
「今まで信じていたものって、
本当にそうなのかな?」
と考える人も増えてきたように感じる。
でも、
『三百六十五歩のマーチ』を見ていると、
ふと思う。
いや、これ58年前から言ってるじゃん。
そして、きっともっと昔から、
同じことに気づいていた人はいたんだろう。
新しい時代になったから、
突然人間が本質に気づき始めたわけじゃない。
どの時代にも、
外側ばかりを追う人もいれば、
「いや、そこじゃないんじゃない?」
と立ち止まる人もいた。
もしかすると人間は、
新しい真理を次々と発見しているというより、
同じ本質を何度も忘れて、
そのたびに思い出しているだけなのかもしれない…
時代が変わっても、
人と比べて、
何かを手に入れれば幸せになれると思って、
もっと、もっと、と走って、
疲れて、
あるとき立ち止まる。
そして気づく。
幸せって、
もしかしてもっと近くにあったんじゃない?
人生の全部を、
今理解する必要なんてない。
今日歩いている道が、
正解なのか分からなくてもいい。
この一歩が何につながるのか、
今分からなくてもいい。
三歩進んで、
二歩戻る日もある。
休む日もある。
すぐ隣にある幸せに、
気づかない日だってある。
それでもまた、
一歩歩けばいい。
いつか振り返ったとき、
何でもなかった一歩にも、
二歩戻ったあの場所にも、
きれいな花が咲いていることに
気づく日が来るのかもしれない。
だから、
新しい人生の答えを
必死に探し続けなくてもいいのかもしれない。
昔から何度も語られてきた、
ものすごくシンプルなこと。
幸せは、
誰かが運んできてくれるものじゃない。
人生は、
まっすぐ進まなくてもいい。
長い人生だって、
始まりはいつも一歩だけ。
だから今日も、
ワン・ツー。
ワン・ツー。
やっぱり人生って、
それくらいシンプルなものなのかもしれない…



中の人さん、おはようございます!
昔からしっかり刷り込まれた昭和世代。あの時代も今も、変わらぬものなのだと、改めて気付かされました。
昭和歌謡ってすごい😍
おめでと~ございます🎉