幸せは、手に入れるものじゃなくて合わせるもの
夏から秋へ向かう朝、自然の合唱が教えてくれたこと
私は、早朝の散歩が好きだ…
まだ車も少なくて、空気が静かで、頭の中も一日の情報で埋まっていない。
寝起きのまま外に出て、ゆっくり歩いていると、ふと耳に入ってくるものがある。
虫の声。
鳥の声。
ときどき、遠くから混ざるカラスの声。
それが本当に、絶妙なのだ。
いかにも「自然です」と主張してくる感じではなくて、すごく静かで、上品で、どこかゆったりしている。
危機迫るものがない鳴き方というのだろうか。
急かしてくるわけでもなく、騒がしいわけでもなく、ただそこに、今日の朝の空気と一緒に在る。
聞いていると、まるで誰かが丁寧に作った癒しの音楽みたいだなと思う。
よく、癒しミュージックには鳥の声や虫の声、川のせせらぎや波の音が入っている。
でも、今ここで聞こえているものは、本物だ…
風の温度も。
朝の明るさも。
少しずつ遅くなってきた日の出も。
稲が黄金色に変わっていく景色も。
ところどころ刈られ始めた田んぼも。
全部込みで、一つの音楽になっている。
この時期の朝晩は、もう少し秋に近づいている。
肌寒いまではいかないけれど、たしかに夏の盛りとは違う涼しさがある。
日が落ちるのも少し早くなって、空気の中に「季節が動いている」気配が混ざり始める。
私は毎年、この感じに少し寂しくなる…
夏が好きだからこそ、終わりの気配には敏感になる。
虫の声や空気の匂いや、朝の光の角度みたいなものから、秋の気配を先に受け取ってしまう。
だから、ただ癒されるだけじゃなくて、どこか切なさもある。
でも、その切なさの中で聞く虫や鳥の静かな合唱は、不思議と心をやわらかくしてくれる。
むしろ、少し寂しいからこそ、いっそう沁みるのかもしれない。
そして最近、あらためて思ったことがある…
こういう音って、ただ鳴っているだけでは、案外聞こえないのだ。
正確には、耳には入っていても、こちらが受け取れていない。
でも、自分から「今この音に意識を合わせてみよう」とチャンネルを合わせると、急に世界が変わる。
虫の声が背景ではなくなって、鳥の声や風の気配まで、ひとつひとつが立ち上がってくる。
そうすると、ものすごくやさしい、ほんわかした幸せ感が身体に広がる。
あれは不思議な感覚だ…
何かを手に入れたわけじゃない。
誰かに褒められたわけでもない。
欲しかったものが叶ったわけでもない。
それなのに、たしかに幸せを感じる。
この感覚に触れるたびに、幸せって何だろうと思う…
私たちは、気を抜くとすぐに、縦の社会にチャンネルを合わせてしまう。
ピラミッドの世界、比べる世界、上か下かで見てしまう世界。
いい車、ブランド品、高級ホテル、美味しいもの、旅行、映える場所。
もちろん、そういうものを楽しむこと自体が悪いわけではない。
でも、そこにばかりチャンネルが合っていると、幸せは「何かを持っていること」「何かを達成したこと」「人からよく見られること」によってしか感じにくくなる。
すると、幸せは遠くにあるものになる。
お金がかかるものになる。
条件がそろわないと手に入らないものになる。
でも本当は、違うのかもしれない…
幸せは、どこか遠くにある特別なものではなくて、すでに足元に、しかも大量にある。
ただ、こちらのチャンネルがそこに合っていないだけなのかもしれない。
朝の虫の声。
鳥の声。
少し涼しい風。
黄金色の稲。
温泉の気持ちよさ。
散歩できる足。
帰れば喜んでくれる犬や猫。
湯気の立つごはん。
そういうものは、どれも派手ではない。
SNSに載せて「すごいね」と言われる種類の幸せではないかもしれない。
でも、ちゃんと受け取ろうとすると、驚くほど深いところを満たしてくれる。
しかも、それは一つや二つじゃない。
周りに、いくらでもある。
幸せを増やさなければいけないと思っていたけれど、もしかしたら、増やすというより、もう流れているものを受信できるようになることの方が大事なのかもしれない。
「幸せは、手に入れるものだ」と思っていると、手に入るまでは不足の中にいることになる。
でも、「幸せは、合わせるものだ」と思うと、今この瞬間にも、受け取れるものがたくさんあることに気づける…
外側の条件が整った時だけ感じる幸せも、もちろんある。
旅行もいいし、美味しいものもいいし、素敵な宿に泊まるのも楽しい。
でも、それだけが幸せの入口になってしまうと、日常はずっと「その手前」になってしまう。
そうじゃなくて、
もうすでに幸せを感じられる自分がいて、
その上で旅をしたり、美味しいものを食べたり、何かを楽しんだりする。
その順番の方が、きっとずっと自由だ。
今朝もまた、虫たちは静かに鳴いていた。
鳥の声も混ざって、風は少しだけ秋に近かった。
夏の終わりが近づいていることは、やっぱり少し寂しい。
でも、その寂しさまで含めて、今しかない音だった。
たぶん幸せって、こういうものなのだと思う。
大きくて特別な出来事の中にしかないのではなく、
静かで、目立たなくて、でも確かにそこにあるもの。
そしてそれは、手に入れるより先に、
そっとチャンネルを合わせたときに、聞こえてくる…



中の人さん、こんにちは
『「幸せは、合わせるものだ」と思うと、今この瞬間にも、受け取れるものがたくさんあることに気づける…』共感します。
幸せは、手に入れるものでもなく探すものでもないですね。
今ここにたくさんあることに気づいて、周波数を合わせることなのかもしれません。
今この瞬間の幸せに気づいて、感謝して生きたいなぁと思いました。
共感する記事をありがとうございます🎶
中の人さん、お疲れ様です🍵
そして、ラジオの周波数のようなお話をありがとうございました🙇
世の中にも「握れば拳、開けば掌」ということわざも存在している通り、何処に眼を向け周波数を合わせるかで、我々の現実も変わってくるのだと思いました📻️