「一人で生きている人なんて、この世にいない」
私がここにいること自体が、無数のおかげさまでできている
私の人生の主人公は、私。
これは、これからも変わらない。
私の人生の舵を握るのは私で、
どこへ向かうのかを決めるのも私で、
この物語を進めていくのも、やっぱり私自身。
誰かに人生を預けるのではなく、
誰かの正解をそのまま生きるのでもなく、
私は私の人生の創業者として、
自分の進みたい方向へ進んでいきたい。
でも最近、同時に強く思うことがある。
それは、
私は主人公だけれど、
決して一人で生きているわけではない、ということ。
むしろ、一人で生きるなんてことは、
この世には存在しないのかもしれない。
今、私が住んでいるこの家ひとつを見てもそう。
この家を建てた人がいる。
素材を作った人がいる。
運んだ人がいる。
管理してくれている人がいる。
設計した人がいる。
その人たちの暮らしを支えた、また別の誰かがいる。
私はただ「家に住んでいる」と思っているけれど、
その背景には、数えきれないほどの人の手がある。
食べるものもそう。
お米も、野菜も、卵も、肉も、魚も。
それはもともと、命があったもの。
動物であっても、植物であっても、
命があったものをいただいて、
私は今日も生きている。
育ててくれた人がいて、
収穫してくれた人がいて、
運んでくれた人がいて、
売ってくれた人がいて、
調理して、口に運んで、
その命が私の身体の一部になっている。
そう考えると、
「私は一人で生きている」なんて、
本当は言えないのだと思う。
自分の足で立っているように見えて、
実際には、見えないたくさんの支えの上に立っている。
自分の力で生きているように見えて、
実際には、空気があり、水があり、食べ物があり、家があり、
人がいて、自然があって、命があって、
今の私がここにいる。
そして、もっとたどれば、
ご先祖様が命をつないでくれたから、
今の私がいる。
誰か一人でも欠けていたら、
私はここにいなかったのかもしれない。
そう思うと、
感謝というものは、
誰かに何かをしてもらった時だけに向けるものではないのだと思う。
もちろん、
優しくしてくれた人に感謝する。
助けてくれた人に感謝する。
支えてくれた人に感謝する。
それも、とても大切なこと。
でも本当は、もっと広い。
私が今ここにいること自体が、
すでに無数のおかげさまで成り立っている。
今日も息ができること。
雨風をしのげる場所があること。
ご飯を食べられること。
身体が動いてくれること。
子どもたちと出会えたこと。
動物たちがそばにいてくれること。
今日という日まで、命がつながってきたこと。
それらは全部、
当たり前のようで、当たり前ではない。
感謝とは、
「ありがとう」と言葉にすることだけではなくて、
この世界のつながりに気づくことなのかもしれない。
私は一人じゃない。
私は一人で生きていない。
私は、たくさんの命と、たくさんの人と、たくさんの存在の中で、
今ここにいる。
そう思うと、
世界の見え方が少し変わる。
足りないものばかりを探す目から、
すでにあるものに気づく目へ。
孤独に戦っている感覚から、
見えないつながりの中で生かされている感覚へ。
だからといって、
自分の人生の舵を手放すわけではない。
私は私の人生の主人公。
それは変わらない。
でも、
この命は私一人だけで成り立っているものではない。
だからこそ、
自分の人生を雑に扱いたくない。
誰かの存在を当たり前にしたくない。
食べるものも、住む場所も、出会う人も、
今ある日常も、粗末にしたくない。
主人公として生きることと、
おかげさまを忘れないこと。
この二つは、矛盾しない。
むしろ、
本当に自分の人生を生きるためには、
その両方が必要なのだと思う。
私は私の人生を生きる。
でも、私は一人で生きているわけじゃない。
私は舵を握る。
でも、風を吹かせてくれたものがある。
船を作る材料をくれたものがある。
海を照らしてくれたものがある。
そのすべてに、
心の中でそっと手を合わせながら、
私は私の物語を進めていきたい。
一人で生きている人なんて、
きっとこの世にはいない。
私がここにいること自体が、
無数のおかげさまでできている。
そう思うと、感謝の気持ちが静かに溢れてくる。
だから今日も、
この命を、
この日常を、
この世界とのつながりを、
できるだけ丁寧に感じていたい…



中の人さん✨✨いつも 自分を振り返れる記事ありがとうございます✨✨ 毎日 自分と向き合える時間が出来た分、 自分のしていた過去への反省もあり、辛い時がありますが “今を生きる” その気持ちで日々 感謝を忘れず 大切にして生きたと思います。
まさにブッダの教えをそっと寄り添うように伝えてくれている✨と感じました。素敵な世界にワープさせていただきありがとうございます✨