嫌味もまた、言霊になる
誰かに投げつけているつもりが、実は自分に投げつけている。
最近、少し考えることがありました。
誰かの投稿やコメント欄で、
わざわざ嫌味のような言葉を残す人が一定数いらっしゃいます。
しかもそのような方々は見事に、毎度のコメントが嫌味あふれるコメント…
明らかな悪口ではないかもしれない。
でも、読むと少し胸がざらっとする。
「それ、今ここで言う必要あったのかな」
「もう少し柔らかく言えなかったのかな」
「この言葉を受け取った相手が、どう感じるか考えなかったのかな」
そんなふうに思うことがあります。
もちろん、人それぞれ意見はあっていいと思っています。
違う考えがあることも自然なことですし、
何かに違和感を持つことも、
決して悪いことではないと思います。
でも、
意見を伝えることと、
相手を少し下げるように言葉を投げることは、
やっぱり違う気がします。
本当に伝えたいことがあるなら、
もう少し優しく言えるはずです。
「私はこう感じました」
「こういう見方もあるかもしれません」
「少し気になったのですが」
そんなふうに、
相手が受け取れる言葉を選ぶことはできる。
でも、嫌味になってしまう時、
そこには相手への想像よりも、
自分の中の不満や正しさが先に出ているのかもしれません。
自分はただ思ったことを言っているだけ。
正しいことを指摘しているだけ。
事実を言っているだけ。
本人の中では、
本当にそれくらいの感覚なのかもしれません。
でも、
その言葉を受け取る相手も人間です。
画面の向こうにいるから見えないだけで、
そこにはちゃんと心があります。
たかがコメント。
たかが一言。
そう思う人もいるかもしれません。
でも、言葉には温度があります。
言葉には空気があります。
たった一言で、
場の空気が少し冷たくなることもあります。
言われた本人だけではなく、
それを見ている周りの人まで、
少し嫌な気持ちになることもあります。
嫌味を言われて、
心から嬉しい人はいないと思うのです。
顔も知らない人から、
上から何かを言われて、
幸せな気持ちになる人も、
きっと多くはないと思います。
だからこそ、
言葉を投げる前に、
ほんの少しだけ立ち止まれたらいいなと思います。
これを言われたら、相手はどう感じるだろう。
これは本当に今、言う必要があるだろうか。
これは意見なのか、
それとも自分の中の不快感をぶつけているだけなのか。
その一瞬の間があるだけで、
言葉の形は変わる気がします。
少し前に、
言霊について考える動画作成しました。
その時に改めて感じたのは、
言葉は、ただの音や文字ではないということです。
昔から、言葉には魂が宿る、
言霊があると言われてきました。
私はそれを、
すごく特別なことだけに起きるものではなく、
日常の何気ない一言にも、
ちゃんと宿っているものなのではないかと思っています。
言葉には、
その人の感情や意識が乗ります。
優しい気持ちで出した言葉には、
優しいエネルギーが乗る。
相手を思いやる言葉には、
あたたかいエネルギーが乗る。
反対に、
嫌味や否定や見下しの言葉には、
どうしても冷たいエネルギーが乗ってしまう。
同じ内容を伝えていたとしても、
そこにどんな気持ちが乗っているかで、
受け取る側の感じ方はまったく変わる。
だから言葉は、
ただの情報ではないのだと思います。
その言葉の奥にあるものまで、
人はどこかで受け取っている。
誰かに向けて言った言葉も、
誰かに向けて書いたコメントも、
一番近くで聞いているのは、
いつも自分自身です。
「ありがとう」
「大丈夫」
「よく頑張ってる」
そういう言葉を使っている時、
私たちは相手だけではなく、
自分自身の内側にも、
その響きを届けています。
反対に、
「気に入らない」
「それは違う」
「わかってない」
そんな言葉を何度も使っている時、
それもまた、
自分自身の内側に響いているのだと思います。
つまり、
嫌味もまた、言霊なのだと思います。
誰かを少し下げるために使った言葉。
相手に針を刺すように置いた言葉。
正しさのふりをして、
冷たく投げた言葉。
それは相手に届くだけではなく、
自分の心にも積もり積もって残っていく。
嫌味を言う。
誰かを下げる。
否定から入る。
それを繰り返していると、
自分の目に映る世界も、
少しずつ冷たくなっていく。
あたたかい人は離れ、
優しい言葉は届きにくくなり、
また不満が増えていく。
そうして、
自分で出した言葉の中に、
自分自身が閉じ込められていく。
負のループとは、
そういうものなのかもしれません。
これは罰が当たるとか、
そういう話ではなくて、
自分が普段使っている言葉が、
自分の生きる空気を作っていく、
ということなのだと思います。
もっと言えば、
言葉は自分を変えてしまう。
誰かに向けて投げたつもりの言葉も、
一番近くで聞いているのは自分自身です。
否定の言葉を重ねれば、
否定から世界を見る自分になっていく。
嫌味の言葉を重ねれば、
嫌味を探す自分になっていく。
反対に、
あたたかい言葉を重ねれば、
あたたかいものに気づける自分になっていく。
自分が相手に投げかけている言葉は、
実は、自分自身を少しずつ作っている。
そう思うのです。
だから私は、
言葉を軽く扱いたくないと思っています。
たかがコメント。
たかが一言。
たかが文字。
そう思えば、
それまでかもしれません。
でも、その一言に、
自分の感情が乗る。
その一言に、
自分の意識が乗る。
その一言に、
自分のエネルギーが乗ってしまう。
だからこそ、
言葉は相手に届き、
場の空気を変え、
そして自分自身にも返ってくる。
目には見えないけれど、
確かに巡っているのだと思います。
もちろん、
いつも完璧な言葉だけを使えるわけではありません。
私にも感情はあります。
違和感を持つこともあります。
腹が立つこともあります。
何かを見て、
「それは少し違うんじゃないかな」
と思うこともあります。
でも、
その感情をそのまま誰かにぶつける前に、
一度、自分の中で見つめたい。
これはあえて本当に伝えたいことなのか。
それとも、
ただ自分の中のざらつきを、
相手に渡そうとしているだけなのか。
その違いを、
見間違えない人でありたいと思います。
誰かを変えることはできません。
嫌味を言う人を、
こちらが救うこともできません。
人は、
自分で気づこうとしない限り、
なかなか変わらないものだからです。
だから私は、
その人を責め続けるのではなく、
自分の言葉の使い方に戻りたい。
人の振り見て我が振り直せ…
私は、どんな言葉を出す人でいたいのか。
どんな空気を作る人でいたいのか。
どんな循環の中で生きたいのか。
そこに戻っていきたい。
誰かに向けた冷たい言葉は、
まわりまわって、
自分の心もどんどん冷やしていく。
誰かに向けたあたたかい言葉は、
まわりまわって、
自分の心も益々あたためていく。
だから私は、
できるだけ、
あたたかい方へ言葉を使いたい。
人を下げるためではなく、
人とつながるために。
傷つけるためではなく、
少しでも場をやわらかくするために。
正しさをぶつけるためではなく、
やさしく考えを差し出すために。
たかが一言。
でも、その一言が、
誰かの心に残ることがある。
たかがコメント。
でも、そのコメントが、
場の空気を変えることがある。
たかが文字。
でも、その文字を、
一番近くでいつも見てているのは自分自身です。
だからこそ、
今日も言葉を大切にしたい。
嫌味ではなく、思いやりを。
否定ではなく、余白を。
冷たい正しさではなく、
あたたかい伝え方を。
自分が使う言葉が、
自分の世界を作っていくのなら。
私はできるだけ、
自分の世界をあたためる言葉を選びたい。
そんな言葉の使い方を、
少しずつでも選んでいきたいと思います。



すごく共感する内容でした!
最近、初対面の相手から謎の価値観を押し付けられて気分が下がっていたのですが…
嫌味が言霊として届いたんだなーと思います(;´Д`A
言葉は一度放つと取り戻しが効かないので、放つ前に相手の気持ちを考えるようにしています。
そして、嫌味に感じるようなことを言う人からは距離を置く。これに尽きますよね╰(*´︶`*)╯
中の人。さん、はじめまして!
そして、ありがとうございます。
昔「ここたま」という子ども向けのアニメがありました。一時期、子どもたちの間で流行っていたことを思い出しました。
すべてのものに神様が宿るというコンセプトのアニメでしたが、それと同じ感じなのかなぁと😄
言葉、音、数などの視覚ではとらえられないようなものも同じなのかもしれませんね、
それぞれ固有の周波数を放っていますもんね☺